感じる脳、考える脳
文系脳・理系脳、とか、女脳・男脳、とか
言われたりするけれど、
誤解を恐れずに書くならば、
世の中を上手く回しているのは、感じる脳で
文明を発達させるのは、考える脳なのではないかと思う。
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私は、ブログを書くときに、二種類の脳を使い分ける。
子供日記系記事を書くときは、感じる脳。
カスタマイズ系記事を書くときは、考える脳。
使い分けると言っても、私は、不器用な人間なので、
意識的に切り替えて書くときもあるけれど、
自分の中で、勝手に切り替わったときは
そういう記事しか書けないし、読めなくなる。
脳波をとる実験でもすれば、明らかに違う部分が
活発に活動しているはずだ。
特に、技術的な記事は、
技術的なことを受け入れられる状態、
頭を働かせる状況を意識的に作らないと
理解したり、記述することができない。
そして、そういう時は、子供らへの対応は
かなりおろそかになるのを自分でも感じる。
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子供を育てるとき、特に、乳幼児を育てるときに
大切なのは、感じる脳。
夜泣き対策、なんていうけれど
赤ちゃんは、何をしても、泣きたいときには
泣くものだ。
どうして泣くの?と考えて、あれこれ対処するよりも
泣き叫ぶ子供がいたら、ああ、泣きたいのね
疲れるまで泣いたら、いつか寝るわ、と
ゆったりおんぶしつつ、歌でも聴きながら
踊っている方が、よっぽど有効。
赤ちゃんは、理屈では動かない。
そして、私は、泣きわめく乳幼児を前に、
考える、分析する脳を封印した。
その方が、楽だったから。
その結果、どうなったか。
私は、スーパーに行って、買い物をすることが
出来なくなった。
ベビーカーを押しながら、かごを手にしても、
かごに何を入れていいのか、分からない。
そして、ぼろぼろと涙がただ、流れ落ちた。
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それは、たぶん、考える脳の、反乱だったのだ。
そして、その状態のやばさに気づいた私は
子供を保育所に預け、
Web系パート派遣社員として働き出し、
ようやく自分を取り戻した。
ママ友と、微分方程式について
語り合うことは、難しいのだ。
人の気持ちを考えなさい、なんていうけれど、
考えても分からない。
考えるんじゃない、人の気持ちは、感じるものだ。
子育てにおいては、分析力より、
感応力の方が、優先される。
考える脳が強く働いていたら
出産なんて、おそろしくてとてもできない。
ただ、今ある状況を受け入れるだけ。
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私が、小学生の時に叔父に言われた言葉。
「女に学問はいらない。結婚や子育ての邪魔になる。」
ずいぶん、男女差別の失礼なことを言うと
腹が立ったが、その言葉は
ある意味、真理だったのではないかと思う。
余計なことを考えず、日々の暮らしに感謝し
天気がいい日に、おひさまの下でぽかぽかになった
布団が気持ちよいと感じ、
日々、食事を作り、片づける。
それを毎日、当たり前だと思って続けることができる能力。
その力は、強い。
何にも、勝る、と私は思う。
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生まれたての子犬を見て、可愛いと素直に感じる人。
可愛いと思わせている要素はなんだろうと、
分析し、考える人。
おひさまに干された布団を気持ちいいと感じる人。
布団を気持ちよいと思わせているときの、
素材、厚み、温度はどうなんだろうと、考える人。
どちらが幸せなんだろう、なんて
考えても仕方ない。
感じることが得意な人は、感じてしまうし、
考えることが得意な人は、考えてしまう。
どちらか一方だけの人、なんてのもいないとは思うれけど。
感じる人と、考える人、
そこには大きな溝がある。
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だから、何って結論はないのだけれど。
感じる私と、考える私。
自分の中でも溝はある。
でも、どちらも私。
どちらを封印することも出来ないし、
どちらがいいって訳でもない。
ただ、そういう私がここにいる。
ただ、それだけ。
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